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最高裁判所第三小法廷 昭和58年(し)30号 決定 1983年9月05日

右少年の保護処分取消事件について、昭和五八年二月二三日東京高等裁判所がした保護処分を取り消さない旨の決定に対する抗告棄却決定に対し、附添人若穂井透、同的場武治から再抗告の申立があつたので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

原決定を取り消す。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

本件再抗告の理由は、別紙再抗告申立書(二通)記載のとおりである。

所論にかんがみ、職権をもつて判断すると、原決定は、次の理由により取消を免れない。

一  事件の経過

1少年は、昭和五六年六月一四日千葉県柏市若葉町所在柏市立柏第三小学校の校庭内で通行中の波田野みどり(当時一一歳)を所携の果物ナイフで殺害したという殺人の非行事実により、千葉家庭裁判所松戸支部の審判に付せられ、同年八月一〇日、初等少年院送致の決定を受けた。これに対しては、少年側が抗告を申し立てなかつたので、右決定はそのころ確定した。

2附添人若穂井透は、昭和五七年五月三一日、少年が右非行事実を犯したことがなく、審判権がなかつたことを認めうる明らかな資料を新たに発見したとして、同支部に対し少年法二七条の二第一項による保護処分の取消の申立をしたところ、同支部においては、これを保護処分取消事件として立件し、審判期日を重ねたうえ、同五八年一月二〇日、右非行事実がないにもかかわらず保護処分をしたことを認めうる明らかな資料を発見したときに該当するとはいえないという理由により、本件初等少年院送致の決定は取り消さない旨の決定をした。

3同附添人は、右決定に対し重大な事実誤認を理由として抗告を申し立てたが、東京高等裁判所は、同年二月二三日、少年法二七条の二第一項に基づいてした保護処分を取り消さない旨の決定(以下「不取消決定」ともいう。)は、抗告の対象となる同法三二条所定の「保護処分の決定」にあたらず、また、右の決定に対し少年側が抗告することを是認する旨の規定もないという理由により、右抗告を不適法として棄却した。本件再抗告は、右抗告棄却決定に対してされたものである。

二  当裁判所の判断

1少年法の定める少年保護事件の手続は、少年の健全な育成と保護を窮極の目的とするものではあるが(同法一条参照)、右の目的のもとにされる保護処分が、一面において、少年の身体の拘束等の不利益をも伴うものである以上、保護処分の決定の基礎となる非行事実の認定については、慎重を期さなければならないのであつて、非行事実が存在しないにもかかわらず誤つて少年を保護処分に付することは、許されないというべきである。そして、誤つて保護処分に付された少年を救済する手段としては、少年法が少年側に保障した抗告権のみでは必ずしも十分とはいえないのであつて、保護処分の決定が確定したのちに保護処分の基礎とされた非行事実の不存在が明らかにされた場合においても何らかの救済の途が開かれていなければならない。

2現在、少年審判の実務においては、少年法二七条の二第一項にいう「本人に対し審判権がなかつたこと……を認め得る明らかな資料を新たに発見したとき」とは、少年の年齢超過等が事後的に明らかにされた場合のみならず、非行事実がなかつたことを認めうる明らかな資料を新たに発見した場合を含むという解釈のもとに、同項を保護処分の決定の確定したのちに処分の基礎とされた非行事実の不存在が明らかにされた少年を将来に向つて保護処分から解放する手続をも規定したものとして運用する取扱いがほぼ確立されており、同項に関するこのような解釈運用は、前記のような観点から、十分支持することができるというべきである。また、同法二七条の二第一項が、一定の事由のある場合に保護処分の取消を家庭裁判所に義務付けていることに加え、保護処分取消事件につき「その性質に反しない限り、少年の保護事件の例による。」こととしている少年審判規則五五条の趣旨などからすると、少年法二七条の二第一項による保護処分の取消の申立を受けた原原審裁判所(千葉家庭裁判所松戸支部)が当該保護処分の基礎とされた非行事実の存否につき審理を遂げたうえ、新たな資料をも加味して保護処分の取消の要否に関する判断を示したことは、正当であつたというべきである。

3ところで、原決定は、少年法二七条の二第一項に基づいてした保護処分を取り消さない旨の決定は、同法三二条にいう「保護処分の決定」にあたらず、他に少年側の抗告を是認する旨の規定もないから、これに対する抗告は許されないとして、本件抗告を棄却したのである。しかし、非行事実の不存在を理由として保護処分の取消を求める申立に対し保護処分を取り消さないとした決定は、少年に対する保護処分を今後も継続することを内容とする家庭裁判所の決定であるから、同法二四条所定の保護処分の決定とその実質を異にするものではない。これに、前記少年審判規則五五条等の規定の趣旨をも加味して勘案すると、同法二七条の二第一項による保護処分の取消を求める申立に対してされたこれを取り消さない旨の決定に対しては、同法三二条の準用により少年側の抗告が許されると解するのが相当である。なお、最高裁昭和四〇年(し)第七号同年六月二一日第二小法廷決定・刑集一九巻四号四四八頁は、家庭裁判所が少年法一八条二項により強制的措置を指示して事件を児童相談所長に送致した決定のように、児童相談所長のする強制的措置に対する許可の性質を有し同法二四条に基づく保護処分の決定とはその性質を明らかに異にする決定に対しては同法三二条の抗告をすることができない旨を判示するに止まり、同法二四条に基づく決定と実質を同じく不取消決定に対する抗告が許されないとの趣旨まで判示したものではないと解すべきである。

4そうすると、これと異なり、少年法二七条の二第一項に基づいてした不取消決定に対しては同法に基づく抗告をすることができないという理由により附添人の抗告を不適法として棄却した原決定は、同法三二条の解釈適用を誤つたものというべきであり、右法令の違反は決定に影響を及ぼし、これを取り消さなければ著しく正義に反すると認められるから、同法三五条、三六条、少年審判規則五四条、四八条、少年法三二条、少年審判規則五三条二項、五〇条によりこれを取り消したうえ(なお、少年法三五条は、抗告棄却決定に対する再抗告事由を、憲法違反、憲法解釈の誤り及び判例違反のみに限定しているが、刑訴法上の特別抗告につき同法四一一条の準用を認める確立された当審判例の趣旨に照らせば、たとえ少年法三五条所定の事由が認められない場合であつても原決定に同法三二条所定の事由があつてこれを取り消さなければ正義に反すると認められるときは、最高裁判所は、その最終審裁判所としての責務にかんがみ、少年法及び少年審判規則の前記一連の規定に基づき、職権により原決定を取り消すことができると解すべきである。)、抗告の理由の有無につき実体審理をさせるため、本件を原審である東京高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(伊藤正己 横井大三 木戸口久治 安岡滿彦)

再抗告申立書

申立人 ○ ○ ○ ○

少年○○○○に対する昭和五八年(く)第四六号事件について、昭和五八年二月二三日東京高等裁判所が抗告を棄却する決定をしたが、不服であるから少年法三五条にもとづき再抗告の申立をする。

申立の理由

別記のとおり

申立人付添人弁護士 若穂井透

一、人間が冤罪と闘うことは生命、自由、幸福追求に対する天賦の基本的人権である。(憲法一三条、一八条)

法治国家ではそれは刑事裁判を通じて闘われるが、裁判は神ならぬ人間のわざである以上、ついに誤判からは逃れられない。

そのため再審は刑事裁判に必然的な制度である。しかも人権尊重のために二重の危険は許されない。(憲法三九条)

その結果憲法上要請される再審はあくまで無辜を救済するためのデユープロセス上の制度になる。(憲法三一条)

それはまさしく冤罪を闘う人間に天賦のものとして付与された裁判を受ける権利の最後の砦なのである。(憲法三二条)

二、少年審判の窮極の目的は少年の保護と育成にあるが、司法機関である家庭裁判所によつて行なわれる犯罪事実の認定は刑事裁判と本質的に同一であり、保護処分も少年院送致など実質的に人身を拘束する内容をもつている。

従つて少年審判にも刑事裁判に準じたデユープロセスが保障されるべきであり(アメリカ連邦最高裁判所ジエラルド・ゴールト事件判決)、事実誤認を是正するために刑事訴訟法上の再審に準じた救済の制度が必要不可欠である。

三、しかし少年法には刑事裁判に準じた再審はない。そのため例えば少年と成人の共犯の場合成人は刑事訴訟法上の再審を受けることができるが、少年には再審を受ける途がないという不平等な結果になつている。

確かに少年に対してその保護育成のために必要最少限度の例外を認めることは法の下の平等に反しないが、少年が少年であるということだけで基本的人権としての再審を受ける権利を行使できないとすればそれは明らかに不合理な差別である。(憲法一四条)

四、しかし少年法二七条ノ二の保護処分取消制度に再審的性格を付与することは不可能ではない。現実に少年実務の運用のなかで保護処分取消制度は事実上の再審機能を果している。

そこですでに述べた憲法一三条、三一条、三二条、一四条の精神に照らして少年法二七条ノ二の法意をさぐつてみると、少年法二七条ノ二は年令誤認などの場合の救済規定として改正された経過があるが、決してそれにとどまらず事実誤認を是正し無辜を救済するための再審規定であり、少年に再審請求権に準じた保護処分取消申立権とそれに対する不服申立権を与えていると解釈されるべきである。

成程、少年法二七条ノ二の文言は職権主義の建前であるが、職権主義であることは本来裁判所の主体性を強調するだけで論理的には少年の取消申立権を否定することと必然的な関連はない。

確かに少年法三二条の文言は抗告の対象を保護処分だけに限定しているが、少年審判規則五五条によつて保護処分取消事件、収容継続申請事件、戻収容申請事件のいわゆる準少年保護事件の手続には少年保護事件の手続が類推適用され、後二者については実務上抗告が認められているのであつて、保護処分取消事件だけを例外とすべき合理的な理由はない。

最高裁判所は、かつては上告棄却決定に対する不服の申立を認めなかつた(昭和二五年(す)二五七号、同年一二月二六日大法廷決定)。しかし、その後最高裁判所はこれを変更し、刑事訴訟法三八六条二項の準用によつて、上告棄却決定に対し、最高裁判所に異議の申立をすることができるものとした(昭和三〇年(す)第四七号、同年二月二三日大法廷決定)。爾来この判例によつて、最高裁判所の上告棄却決定に対する不服申立の方法として異議の申立が行われてきた。

この大法廷決定は、刑事訴訟法上最高裁判所の上告棄却の判決に対しては、不服申立の方法として訂正の申立が認められているのに、上告棄却の決定に対しては何らの不服申立の方法が認められていない不合理を是正し、異議申立の方法による救済を認めたものである。このように最高裁判所が刑事訴訟法を弾力的に解釈し、立法の不備を補い、被告人の救済を図つたことは、高く評価されているところである。

この大法廷決定の精神は、少年法の解釈においても活かされなければならない。すべからく少年法の抗告に関する規定を弾力的に解釈し、人権保障の規定の不備な少年法の下に、成人に比し甚しく不利益な地位におかれている少年の救済を図るべきである。

とりわけ本件は、千葉大学法医学教室木村康教授の血痕鑑定など有力な新証拠によつて殺人罪の事実認定に重大な疑問が生じている事案であつて、無実を訴える少年の人権尊重のために少年法が弾力的に運用されなければならない。

従つて保護処分取消申立棄却決定に対しては少年法三二条を類推適用して抗告が認められるべきである。

五、結局、抗告を不適法として棄却した原判決は少年法三二条に違反するばかりでなく、同時に憲法一三条、三一条、三二条が基本的人権として再審請求権を認めた趣旨を没却すると共に憲法一四条の平等原則に抵触し違憲であるといわねばならない。

よつて少年法三五条にもとづき再抗告の申立をする。

なお、おつて補充する。

再抗告申立書

付添人弁護士 的場武治

申立の趣旨

右少年に対する少年保護処分取消事件につき、昭和五八年二月二三日東京高等裁判所がなした昭和五八年(く)第四六号抗告の棄却の決定を取り消すとともに千葉家庭裁判所松戸支部がなした保護処分決定を取り消し、かつ同裁判所に事件を差し戻すことを求める。

理由

前記抗告審の決定は、憲法に違反し、また憲法の解釈を誤まつている。

一、本件は、一件記録により明らかなとおり、申立人○○○○(以下、少年という。)が殺人罪を犯したとして、千葉家庭裁判所松戸支部において昭和五六年八月一〇日初等少年院送致の決定を受け、現に神奈川医療少年院に在院しており、その保護処分継続中、少年法第三条に定める非行事実が存在しないことが明らかとなつたことを理由として保護処分の取消を求めんとするものである。

原処分である少年院送致決定をした千葉家庭裁判所松戸支部は、少年の右の申立に対し、昭和五八年一月二〇日、少年法第二七条の二の第一項の取消事由(非行の不存在)となる明らかな資料を新らたに発見したとはいえないとして、保護処分を取り消さない旨の決定をしたので、これに対し、少年から東京高等裁判所に抗告の申立をしたところ、同裁判所は、問題の実体的判断にふれることなく、「同抗告は少年法第三二条に該当しないこと明らかであり、また抗告を是認する規定がないから不適法なものである。」としてこれを棄却した。

同裁判所の棄却の理由とするところは、保護処分を取り消さない旨の決定は、少年法第三二条にいう保護処分の決定そのものでないことさらに保護処分決定が抗告期間の経過(同法三二条)後確定した以後においては、たとえ非行事実の存在しないことを疑わせる明らかな新証拠を発見しても、少年法には、刑事訴訟法第四三五条の再審請求のような規定がないから、少年からする申立は不適法であり、非行事実の存在しないことにより、いわれのない収容処分を受けた少年が、現に自由を侵害されている事態にあつても、少年からの救済の申立ないし不服申立は、一切できない。

そして少年法において、そのような状態を認めることも制度として許されることを是認することに帰着する。

二、しかしながら東京高等裁判所(以下、原審という。)の右のような判断は、憲法と少年法の解釈を誤まつたものであり、またもし、原審の解釈が妥当するとすれば、無方式な少年法の少年手続は、違憲であるといわざるをえない。

1 (少年法と適法手続の保障)

周知のとおり、少年法は、少年の権利保障について、いちいち手続を方式化することなく、これを家庭裁判所の運用に委ね、家庭裁判所において、その責任を果すことを期待して立法された。

しかし憲法の要請を受けて旧少年法の全面的根本的改革として、立法された少年法は、当然その処遇において、少年の自由を制限することを不可避とする以上、憲法の適正手続保障を基調とすることはいうまでもないところであり、無方式であることは、少年手続に適正手続の保障がないことを意味しない。

すなわち、憲法が基盤となつて構築されている少年手続においては、方式化いかんにかかわらず、憲法の要請する適正手続の保障が下敷となり、その軌道をふんで手続が進められていくのであつて、その都度、個々の状況に応じて、裁判官が適切にその保障を具現していく建前をとつたものである。

ところで刑事訴訟法にあつては、手続の基本が対立にあるため対審構造を必然とし、徹底した方式化とその厳格化とを不可欠のものとし、その方式化こそが対立当事者の対等・武器平等のバランスをとりうるとの仕組みとなつている。従つてすべてその方式にたより、手続を進めれば足り、またその方式を履践することのみが、保障を全うする所以であり、それ以外のものを持ち込むことは許されない。いわば、手続は形式主義によつて担保される。

しかるにその手続の目的・基本性格を全く異にするわが少年手続には、当事者の対立、対審という発想はなく、少年の健全育成のために、送致、通告による非行事実にたいする司法的判断を経由したうえ、少年に対し、少年保護をどこまで貫くことができるか、適切な少年保護はどうすればよいかの、ある選択を行なう場である。そこでは、刑事処分をすべき少年とそうでない少年とを振り分けたうえ(同法第二〇条)少年保護のために、国が手を出すのが適切であるかどうか(非行事実の認定と要保護性の診断)、また国の責務として(最高裁大法廷判決昭和五一年五月二一日)どうしても手を出す以外にない場合においても、どのような保護ないし措置が最も妥当であり、必要であるかを模索し、少年の権利保障の全きを期することを基本の制度としている。すなわち、少年保護の個別性、多面性ないし多様性から、その目的を達するための合目的的選択がなされる場にほかならない。このように少年手続は、多元かつ、多様の対応を果し、かつ、またそのひとつひとつが教育的、福祉的処遇過程としての変化、そして厳しさとデリケートさとを必要とされるので、徹底した非方式性をとつたものであり、この場における適正手続の保障についても、その対応は一様ではありえず、流動的であるので、元来厳格な方式をおくことは、手続の本質にそぐわないし、対立的構造を持ち込むことは制度の趣旨とは相容れないのである。それ故に、この徹底した非方式は、家庭裁判所に対して、容易、無条件に権力行使についての拘束を解いたものでも、家庭裁判所の少年の権利に対する義務の緩和をはかつたものでもない。極めてむつかしい人間形成の処方を探求させる場を用意することのための非方式化であつて、もしこの非方式であることをもつて、適正手続保障の裏付がないとされるならば、少年手続は違憲の疑をもつといわなければならない。

適正手続の保障は、刑事法特有の原理ではない。いやしくも権力行使による国民の基本的人権の制限をしまた不利益を与えるについては、権力行使の正当性を担保する手続的、実体的公正が確保されなければならず、その保障を欠いた制度は、憲法の認めない不正義な法制ということになる。刑事訴訟手続に限らず、行政手続においても、とくにその方式化ないし制度上の手続規定がなくても(例えば財産の没収等)告知と聴問を柱とする適正手続の保障は、最低限度のものとされているのである。

2 (少年手続における適正手続)

以上述べたとおり、適正手続の保障は、権力行使の正当性を担保するものとして、手続的、実体的公正を確保することを目的とし、また一面「変化する自然法」ともいわれ、方式の有無に限定されることなく、正義のためにその公正を実現するのに必要な措置をとることを要求する(実質主義)。

少年手続についていえば、非行事実をはじめとする必要事項の告知、その告知にたいする弁解(防御とあらゆる申立)、すなわち権力の不当な介入や行使をとめる活動を保障しなければならず、それには、その手続開始前、手続中、ならびに手続後も、公正の保障を要するときは、いつでもそれに必要な保障を欠くことは許されず、少年手続においては、裁判官が無方式を理由に少年の防御のための権利行使を拒みまたは無視することはできないところと考えられる。蓋し、すでに述べたように、少年法は、裁判官にそのことを委ねたものであり、方式によつて裁判官をしばる形式主義をとらないだけで、その恣意を許したものでなく、憲法の当然の要請としてそれぞれの手続段階において、その都度方式にしばられることなくその状況に応じた対応をもつて適正手続の保障である公正を実現することをめざしたものにほかならないからである。教育・福祉的処遇をめざすため、裁判官において少年に対し、特別な配慮をし、適切な方法によつて、その処理処遇をする工夫をしながら、公正のために欠かせないと認められる状況を確保し、必要と考えられる措置をとることを要求するものであり、それを実現することは、裁判官の最低限度の義務なのである。

従つてひとたび保護処分に付したからといつて、不幸にして少年にあとになつてから非行事実の存在につよい疑を生ぜさせる事由が発生したときには、その手続的・実体的公正のため、少年の防御としての申立の権利を保障することが適正手続の要求である。すなわち刑事訴訟法の再審請求に準じた申立による救済は、わが憲法の適正手続保障の内容の一つというべきであり、少年手続が適正手続の保障によつて成り立つものであるとすれば、当然この申立を規定の有無にかかわらず認めなければならない。

少年法には、第二七条の二において「保護処分の継続中、本人に審判権がなかつたことを認めうる明らかな資料を新たに発見したときは、保護処分をした家庭裁判所は、決定をもつて、その保護処分を取り消さなければならない」ものとの職権による保護処分取消の制度においている。

しかし、決定機関と執行機関とが分離されておるのみならず、その管轄もちがい、裁判所と少年との接触の機会の極めて乏しい法制下において、家庭裁判所が爾後の少年の状況を把握ないし管理するという状況はなく、その自律的機能に依存するという右の制度は、重大な事実の誤認を爾後になつて改めるという機能をほとんど期待できず、この制度のみによつては、適正手続が保障されるということはできない。適正手続の保障は、右規定のような単なる権力行使の任意的裁量や自律(職権)のみに期待して行なわれうるものではなく(少年法はそのようなこととして裁判官に委ねたのでない。)、その公正に重大なかかわりのある少年側の申立があつた場合には、これを正面から受けとめ、手続的正義が貫ぬかれる手続をもつて審理し、必要な手当てをすることを必要とするものであり、少年法は、その責務を裁判官に委ねたのであつて、当然の義務として無方式のなかで適正手続の保障を具現する任務を裁判官に遂行させることとしたのであり、原審のように規定がない(それは無方式であることの当然の帰結である。)ことを理由として適正手続保障を拒否することは許されない。原審は、適正手続の保障を基調とする無方式制度のなかで、裁判官がその状況に応じて何が適正手続の保障であるかを見出し、その保障の仕方を工夫し、適正手続保障に必要な申立や言い分を汲み上げ、少年の人権を擁護する責任を放棄するもので、その義務に反する。

ところで、その場合何が適正手続の保障であるかは、その都度、その状況に応じて憲法の理念と社会の良識にもとづき、手続的・実体的公正を確保するのに欠くことができないと考えられる条件や手当はいかなるものかを配慮し、それを確認し履践していくことによつて確保される。前記再審請求に準じた申立がこのような適正手続保障の必要的射程内にあることは疑を容れないところである。すなわちいつたん認定された非行事実に高度の疑が生じた場合には再びその存否を審理することは適正手続の保障の不可欠な内容であり、少年は、その申立をする権利を有する。

従つて原審は、憲法と少年法、とくに憲法の要請する適正手続の保障についての解釈を誤つた違法がある。

3 (適正手続の保障を欠いた場合の少年手続の非合憲性)

少年法の無方式手続によつて、少年は重大な人身の自由を奪われている。前に述べたとおり、少年法は、審判機関としての中立公正のための除斥等の制度、証拠法則等を方式として定める規定においていない。伝聞禁止等もなく、送致機関の送致書を含むすべての提出証拠(主として捜査上の)が無条件で、すべてそのまま資料とされ、事実が認定されうる仕組となつている。ゆるやかな証拠による誤判の危険性は極めて高く、また他方未成熟で非力な少年には、成人においてすら困難な防御の能力は、ほとんどないといつてよいほどであることを考えると、もし、少年法に適正手続の保障はないということになれば、それは暗黒裁判を是認することに等しく、その手続は、憲法の認めえないものであつて、違憲として無効とするほかないであろう。

また少年手続のなかで、僅かに方式化されたものだけが適正手続保障の対象とされ、適正手続の保障が明文のものに限られて、その方式化以外のほとんどの無方式な前記のような手続については、適正手続保障は考えなくてよいというのであれば、また同様違憲の疑を有するということになろう。

もしそうであれば、裁判の公正、従つて少年の人格保障は、偶然の出来事になつてしまうであろう。裁判所の義務として適正手続の保障の要請を満さぬ限り、すなわち具体的な保障を具現しない限り、少年手続は、その合憲性を保ちえない。それには、少年の前記のような立場にかんがみ、現実にその人権の侵害のおそれがあるとされる状況のある限り、その事由の存否につき慎重な審理をすることを方式性いかんを超えて、行なうことを義務付けられていると考えなければならない。

原審の如く、少年の本件申立を規定(方式)のないことを理由として、その審理を拒否することは、少年手続自体が適正手続に合致しない違憲なものとなるか、裁判所の措置が同様違憲なものとなるかのいずれかとなる。

ちなみに「保護処分を取り消さない」とした千葉家庭裁判所松戸支部の措置も、単なる証拠判断の誤りを犯しているだけでなく、証拠法則のない前記のような少年の立場を全く顧慮せず、また少年の自由を奪うことには慎重のうえにも慎重さを要求される手続構造上の弱点があることを見落し、とくに事実認定には格別慎重な配慮と審理とを必要とすることを忘れたやり方であつて適正手続保障に反したものである。

4 (少年の人権保障についての不平等)

少年法において、非行事実がないかその存否に重大な疑が生じた場合において、少年にその救済を求める「再審請求」的申立による救済を認めないとするならば、少年は、非行事実がないことを示す事由があるのに故なく人身の自由を奪われ、不当な権力行使によつて重大な不利益を受けることを認めることになり、それが少年なるが故に少年法上受忍すべきこととされることは、憲法の定める平等に反し、理由なき差別として、その点についての違憲性は、まぬかれないことになる。

以上のとおり、原審の決定は、憲法に違反するか、憲法の解釈を誤つたものであつて、破棄をまぬかれない。

よつて申立の趣旨のとおり再抗告をするものである。

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